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意匠の同一・類似の判断基準、裁判における「視点」の問題

 意匠登録により、新しいデザインは登録から20年間保護されます。そして、万一、同一類似の意匠が現れた時には、意匠権を根拠にして使用の差し止め等を請求でき、あとから同一類似意匠の登録請求があっても登録されないので、これを阻止できます。
問題は、どんな場合に、同一・類似といえるのか、という点です。
この点、意匠法3条1項では 「公然に知られている意匠 」「公刊されている意匠」「それらに類似する意匠」の登録が禁止され、同2項では、公然知られた意匠から容易に考案できる意匠も同じ扱いをされています。
 裁判例上では、1項は「一般需要者の立場から見た美観」の問題であり、2項は「当業者の立場から見た着想の新しさ・独創性」の問題であるといわれています。

 法律では、このように、ある規定の適用について、「誰の視点・立場」から見るかが重要な場面があります。
 民法などの一般的な規定の適用に当たっては、「一般通常人の立場」から見るのが通例です。この「一般通常人」という概念は実は、相当の「クセ者」であり、ある意味決して実在しえない「人」であるにもかかわらず、裁判では、それが基準となります。そして、最終的には、その事件を担当した裁判官が、「世間一般の普通の感覚を持った特に優れてもいないが劣ってもいない普通の人だったら、どう考えるだろうか」と推測を交えて考えて、結論を出すことになります。

 裁判での争いは、いかにして、裁判官に対して、「自分の主張する立場=世間一般の通常の感覚・視点」だということを、伝え、教育し、説得し、誘導して、自分の主張と同じ立場に立ってもらうかの勝負です。
 そのために必要なのは、サポートとなる資料です。これがなければ、単に「自分勝手なことをわーわー言っているだけの人」で終わってしまうのです。
 裁判では、「きちんとした裏付けをもとにして語る人」が最も信用されます。日ごろから、事実経過について、きちんと記録に残しておくことはこの観点から非常に重要です。

 もう一つ、重要なことは、決して「説明できない不自然な流れ」を作らないということです。
 第三者から見て、「なぜそんなことをしたかな」「どうしてそうなるのかな」という疑問を抱かせるような行動や資料が残っている反面、その一見不自然にも見える流れが第三者からみても自然だなと納得させうるサポート資料が残されていない場合は、この「不自然な流れ」に対する裁判官の疑問も解消できず、ひいては、仮に、(『事実は小説より奇なり』という言葉もありますように)「その不自然なありようそのものがまぎれもない歴史的真実」であったとしても、第三者(裁判官)の目からみたら、「不自然=信用できない」という判断をされかねない危険があるからです。

 意匠の話というより、裁判の話になってしまいました。ただ、上記のようなことを法的紛争場面で意識するかしないかによって、大きな損益の差が生じかねないので、予防法務的には注意を払う必要があると思います。


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