もし隣に一戸建てが建つとしたら,そこの人は,少なくとも隣近所に挨拶くらいはするだろう。
ところが,マンション建築は,近隣住民に,一方的に「説明」がされ,事務的に物事が進み,なにか文句を言えば,法的に規制をクリアしているのに何を「反対」するのかと非難される。
一戸建てなら,たとえ法的規制をすべてクリアしていたとしても,そのあと現実にそこに住むわけだから,隣近所の人とうまくやっていきたいという動機が働くし,それによって,一定の調和ができる(仮に調和ができなければ,どちらかがそこから立ち去るだけであるが,いずれにしても周囲への影響は少ない)。
しかし,マンション開発の場合には,マンション側のほうが,圧倒的に巨大であり,「話し合い」による「調和点」は自ずから,マンション側の利便におおきく傾くことが必定である。また,開発業者・販売会社は,分譲してしまえば,その物件にその後関与する必要がないので,売り切ってしまうまでは,少々近隣を気にしても,あとのことは知らないで済む。さらに,居住者といえば,一体どれだけの人が,マンション外の近所の人々に「このたびは大きな建物を建てまして,いろいろとご迷惑をおかけします・・・」などと,挨拶してまわるだろうか。おそらく,皆無であろう(もしそんな人が実際に来たら,別の意図(訪問販売?)を疑うかもしれないほど)。
要するに,マンション問題の根源は,はじめから「話し合い」解決のベースがないところに,「話し合い」を持ち出すが故,紛争が激化するところにある。すなわち,マンション紛争は,労使問題・消費者問題などに見られるように,交渉当事者の非対称性が顕著に表れる紛争類型の一種であるから,これを解決するのに,中立的な介入はありえない。
しかしながら,現状では,中高層建築物に関する紛争調整制度や,大規模建築物の事前開示制度を設けている自治体は数少ないうえに,それらの手続に通底しているのは,建築・開発側と地域住民側とが「対等」に「話し合う」ことを前提とする発想である。当然ながらこのような発想に基づく紛争「調整」がうまくいくはずがなく,制度の理想に反して,その運用は調整不成立ばかりという惨状にある。行政や立法が制度的に中立であっても,実体的に格差があるなかで,その「中立性」にこだわれば,一方当事者(開発側)への荷担であると言われても仕方ない。
法律がそうなっている,行政がそのように決めたといえば,その通りかも知れない。しかし,「お隣さん」「お互い様」という「人間同士」の暖かいやりとりまでも否定していいのだろうか。
もしあなたが開発業者側ならば,周辺住民との話し合いのなかで,「法律の規制はクリアし,行政の指導にも従っているので,何の問題もない。」というセリフを決して吐かないでほしい。そんな発想そのものが「私は人としての道徳を捨ててあなたと対面している。」という凶悪なメッセージであることに気づいてほしい。
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