医師と弁護士(医療情報の公開・開示を求める市民の会 投稿を一部修正)
医師と弁護士
弁護士 山之内桂
無料相談の限られた時間では、十分に相談者のお話を伺ったり、情報を提供したりできないことが残念です。医療過誤訴訟は難しくてお金がかかるという話ばかりを聞かされて、「またか」と失望された方もいらっしゃるかもしれませんが、医療過誤事件の場合には、通常民事事件よりもいっそう詳細な事実聴取をして、資料を検討した上でなければ取るべき手段すら予測判断できないこと、また、医療問題を法律の過失論の俎上に載せること自体も非常に困難であることは、あらかじめ覚悟しておいて頂きたい。どうかくじけないで弁護士事務所の扉を叩いて頂きたいと思います。
ところで、「幸いにして」と「不幸にして」のどちらが適切な修辞かはともかく、いまのところ「弁護過誤原告の会」などを結成する気運もないようですから、弁護士と顧客の関係は、医師と患者の関係と比べると、おおむねうまくいっていると言えるのでしょう。
しかし、弁護士の場合でも、もう少々しっかり準備して慎重に判断して、様々な法律制度を駆使して、大きな声を張り上げれば、もうすこし依頼者に有利な結論を導けたかもしれないと思われるような場面はいくらでもあります。なのに、弁護過誤問題はごく一部の特殊な弁護士だけの問題にとどまっているようにも見えます。なぜでしょうか。
一つには、弁護士と依頼者の間の信頼関係の構築のあり方に原因があるのかもしれません。そもそも、多くの弁護士はあらかじめ信頼関係のある人か又はその人からの紹介者の依頼でしか事件を受任しないのが普通です(私もそうです)。しかし、医師は原則として治療を拒否できず、みずから治療しないときは転医義務があり、いずれにしても全く初対面の人から、なにものにも代え難い生命身体を預かる機会が多いわけです(もっとも、弁護士も、最近は弁護士会からの紹介で、見ず知らずの方の事件を突然受任することも増えてきましたから、将来的に弁護過誤問題が表面化する可能性はあります)。
医師は患者との信頼関係がないところからスタートすることが比較的多いのですから、いっそう患者との信頼関係を大切にすべきでしょう。また、弁護士が預かる財産は再生可能であるのに対し、医師は、一度なくしたら元に戻せない生命身体を預かるわけですから、本来ならば、弁護士の何倍も依頼者との信頼関係が大切なはずです。
さらに、多くの弁護士は、依頼者と頻繁に連絡を取り合い、常に依頼者の意向を確かめつつ訴訟や和解に望むことが、依頼者にとって不利な結果に終わったときでも、依頼者を納得させ、説得するために必要なステップであることを知っています。俗に「後ろからの鉄砲玉(依頼者から非難されること)は避けきれない」と比喩されます。
特に経験的価値的な判断の側面が大きい法律業務においては、解決の幅が非常に広く、しかも法律実務に疎い一般の方は、権利実現にかかるコストとリスクについて、かならずしも十分に理解、認識できていないことを知っているからです。
現代の高度化した医療の中で一臓器ごとあるいは一疾患ごとに専門が分かれているような状況において、一刻一秒を争う判断を要求されている点で、おなじ専門職とはいえ、ほとんど専門化していない弁護士とでは、医師の説明すべき内容の高度さは比較にならないほどであり、それを説明すべき義務を医師に課すことは日常診療にせかされている医師にとって過重なのかもしれません。医療過誤訴訟の多くは、医療というブラックボックスを隔てて、お互いに意思疎通できない状況で、必死に自己防衛しようとする医師と、不安でいたたまれない気持ちになる患者とのすれちがいがトラブルの発端となって生じることが多いように思います。
このような医師と患者の不幸な関係を打開する意味で、医療情報の開示は、医師と患者の双方にとって幸せへ通ずる道ではないでしょうか。
私は、弁護士として、この不幸な関係を解消すべく、微力ながら精進したいと考えております。
*この原稿は、1999年3月医療情報の公開・開示を求める市民の会の会報へ投稿した文章に、最近修正を加えたものです。
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