議論の前提として、まず私自身のバックグラウンドの話をします。
大学卒業後、4回目の受験で平成7年旧司法試験に合格し、2年間の司法修習を経て、平成10年弁護士登録しました。
大学と司法浪人中は地方都市から東京へ出ていましたが、親(父親が地方公務員で母は専業主婦・パート勤務、妹が当時高校・大学生でした)からの仕送りをもらって、食と住(合計月額7万円)には不足しませんでした。親は普通の公務員で資産家でもなく、借家住まいでしたから、子供らへの仕送りは相当大変だったと想像します。それ以外に必要な分(衣・学・遊)は、いろいろなアルバイト(主として肉体労働系)をして自分で稼いでいました。
私は、はじめから弁護士になるつもりだったわけではありません。高校生のころは検察官いいなあと思い、その後大学生になって裁判官いいなあと思い、司法修習を経て、弁護士がいいなあと思い、最終的に弁護士になることを決めました。
さて、現況では、司法修習生への給費制停止が避けられなくなりそうです。
私はこの話題について、これまで自分の考えをまとめることができませんでしたが、Yahooニュースの意識調査結果を現時点までの分全部(2296件)を見たうえで、自分なりに考えました。
結論としては、「現行修習制度を維持する以上は、貸与制は論外であり、給費制であるべき」と考えるに至りました。
理由は単純で、現行修習は法曹三者いずれの可能性も前提とした上で、法曹一般の職業倫理と技能を伝えている場であって、そこに全司法修習生が修習専念義務を負わされている以上は、性質・実情がなんであれ(労働なのか勉強なのか、はたまた遊びなのかはともかくとして)、その拘束に見合うだけの収入は保証されるべきということです。
一般の方に根強いのは、ほかの職業には国が生活の面倒まで見る制度はないので司法修習生は優遇されすぎである、という立論ですが、それだけ、現行司法修習制度はほかの職業にあり得ない特別の体制をとっているわけで、この制度下での議論をしている以上、この特殊性はやはり無視できないと考えます。これが、「現行修習制度下では」という限定の趣旨です。
一部の論者は、修習給費を出すなら、希望者のみの修習にすればよいといいますが、これは、現行修習を維持するかどうかという別の重大問題を持ち込む議論であり、レベルが違います。
ちなみに、この問題は制度論であって、個々の受験生の借金額や家庭の事情や将来どんな職業についていくら稼げるかとかは全く関係のないことだと思います。ここの感情論が議論を混乱させています。
また、給費制だから弁護士が公益活動をやり、貸与制になったらやらなくなるという因果関係も一般論としては立証不可能であり、どちらの制度をとっても結果は人によるということだと思います。これについての受験生や修習生・既存法曹の立論は一般の方から見れば、脅しのように受けとられても仕方がないと感じます。
現に給費制で育った弁護士が、国選刑事弁護も公益的活動も一切やらないという例はいくらでもありますし、新司法試験を経た若い弁護士でも、めざましい公益的活動をやっている人がたくさんいます。どちらの制度になっても、最終的には個々の人格の問題と思います。司法試験は人格の試験ではありませんから、どんな制度でも、悪徳から善良までいろんな人材が通過してきます。。。
実は、この議論の結末として最も恐るべきは、現行修習制度の改変という次のステップです。
すなわち、現行制度下では論外ともいえる貸与制をあえて採用した先には、一部の論者がいうような、希望者のみの修習、個々の配属先での個別修習でよいのではないかという議論に流れやすい土台ができてしまいます。
この局面をどのように個々の国民や政治家が判断するのかが、最大の問題だと私は考えています。
そして、この現行統一修習の理念は、さらにいっそう一般の方に理解しにくいシロモノであることが懸念を増大させます。
将来、分離修習が司法制度改革の俎上に上ったとき(私見ではいまのところ絶対反対ですが)、どのように考えるべきか。法曹でない国民や政治家がどう判断するか。これは相当に難問です。
みなさまはどのようにお考えでしょうか。